伏見稲荷大社の歴史を年表付きで簡単に解説!千本鳥居の見どころと由来や狐との関係は?

2019年12月19日

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こんた

今回は、伏見稲荷大社を紹介します。僕の仲間もいっぱい出てくるかな…?

 

一年中観光客で、にぎわっている伏見稲荷大社。また、お正月には初詣でたいへん多くの方々訪れています。

京都の観光名所の一つでもある、伏見稲荷大社について調べて見ました。

 

  • 伏見稲荷大社の歴史
  • 豊臣秀吉との関係
  • 千本鳥居の由来や歴史
  • 狐との関係

など、簡単に年表ごとにまとめています。

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伏見稲荷大社ついて

伏見稲荷大社伏見稲荷大社は、京都府京都市伏見区深草にあります。旧称は稲荷神社といいます。

稲荷神社は全国に3万社以上あると言われていて、稲荷神を祀る全国の稲荷神社の総本社伏見稲荷大社です。

稲荷神とは、本殿で祀られている五柱の神の総称です。

 

祀られている神様は

  • 宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)  下社(中央座)
  • 佐田彦大神 (さたひこのおおかみ) 中社(北座)
  • 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)  上社(南座)
  • 田中大神(たなかのおおかみ)  下社摂社(最北座)
  • 四大神 (しのおおかみ)  中社摂社(最南座)

 

  • 稲荷神はもともとは、五穀豊穣を祀る神様でしたが、現在は、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになりました。
  •  

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

日本神話に登場する神さまです。

  • 『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
  • 『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

 

と表記されています。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神さまです。

 

両書とも性別が明確にわかるような記述されていませんが、古くから女神とされています。

伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)の愛称で親しまれています。

 

佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)

神道の神さまで、佐田彦神と表記されています。

伏見稲荷大社で祀られる稲荷三神(上社・中社・下社の神の総称)の一柱であり、主祭神の宇迦之御魂神の配神となっています。   記紀神話に登場する猿田彦神(サルタヒコ)の別名です。

現在は伏見稲荷の中社の祭神ですが、もともとは上社の神とされていたようです。

大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)

 

神道の神さまです。

  • 『延喜式神名帳』と『古語拾遺』では大宮売神(おおみやのめのかみ)、
  • 伏見稲荷大社では大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)

 

と表記されています。宮殿の平安を守る女神です。

 

『古語拾遺』に太玉命の子として登場しています。天岩戸から新殿に移った天照大神の侍女として仕えたとされていて、女官が麗しい言葉を駆使して君主と臣民の間を和らげるような働きをしていたと記されています。

 

因みに『延喜式神名帳』とは927年に、まとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時の「官社」に指定されていた全国の神社一覧です。

延喜式』(えんぎしき)は、平安時代中期に編集された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つ。

古語拾遺』(こごしゅうい)とは、平安時代の神道資料である。官人であった斎部広成が807年に編集した。全1巻。

田中大神と四大神

摂社の祭神、田中大神と四大神については由緒がはっきり分かっていません。伏見稲荷大社では

  • 稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神
  • あるいは土着神的傾向が濃厚とされています
  •  

下社の摂社に祀られる田中大神は、その名のとおり田の神ではないかと考えられています。

 

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こうさん

伏見稲荷大社は1300年以上続く歴史があります。

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おつさん

伏見稲荷大社について簡単に説明したところで、次からは歴史について説明していくよ。

 

伏見稲荷大社のイメージって、千本鳥居が強烈にあったので、祀られている神様の事をぜんぜん知らへんかった上に、初めて聞く神様ばかりで、日本にはたくさんの神様が居てはるんやなってあらためて思いました。

 

伏見稲荷大社には小学生の頃に遠足で行ったっきり数十年行ってないので、鳥居の思い出しかない…。でも、あの朱色の鮮やかさはいまでも覚えてるくらいきれいやったなって、大人になった今、訪れたらまた違う感じ方するんやろうね。

伏見稲荷大社の歴史を年表ごとに説明

稲荷信仰の原点が、稲荷山です

創建

711年2月7日 初午の日(奈良時代の和銅4年)

伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が、勅命を受けて、伊奈利山稲荷山)にある三つの山の頂にそれぞれの神様を祀ったことが、これが伏見稲荷大社の起源となったと言われています。

 

平安時代

816年(弘仁7年) 社殿が建設される。
 
 

823年(弘仁14年) 空海は、自らのお寺となった「東寺」の境内に自らの理想であった伽藍の一環として、「五重塔」の建設をはじめます。その時、木材を得るために伏見稲荷の稲荷山を含めた周辺の山々から山の木々を切り出しました。

しかし、稲荷山の神である「稲荷神」は空海に怒りを示しました。

 

これを察知した空海はすぐさま山の切り出しをやめて、稲荷神へ許しを乞うために自らのお寺である「東寺」の守護神として崇め祀ることを誓います。

 

それ以降、空海は、お寺を建てる時には、稲荷神の分霊をお祀りするようになったと云われております。

 

827年(天長4年) 淳和天皇が病に伏したため占わせたところ、東寺の塔を建てるために稲荷山の木をきった祟りであることがわかり大中臣雄良が派遣されます。それまで秦氏の私社であった稲荷大神に初めて従五位下の神階が下賜された

 

「イナリ」の表記はもともと「伊奈利」の字が当てられていましたが、淳和天皇の天長4年(827年)正月辛巳の詔で初めて「稲荷」の表記が用いられたてからは「稲荷」と表記されるようになりました。

 
ここで豆知識

当時の空海は、国民的スターでした。人気の理由は、国の様々な土木事業に従事し改革しそれ以外にも、真言宗の布教活動を行い、人々の心を救済していたからです。

国民的スターである空海が、東寺だけではなく、伏見稲荷大社に鎮座する「稲荷大神」を自らの宗派「真言宗」の守護神と定めたことは大きく話題となりました。

そして天皇の耳に入り、次第に国民へと広まって行きました。天皇が直々に稲荷大神へ参拝するために、伏見稲荷大社へと足を運ぶと、「天皇もお参りするほどの神社」と、噂は民衆へも広がり日本全体の民衆に対しても稲荷大神の名前が知れ渡ることになりました。

 

空海名前だけは聞いたことがあるぐらいだったので、凄いひとやったんですね。ほんまに祟りとかあったのか、不思議な話ですが神様を粗末に扱ってはいけないと肝に銘じておきたいと思います。何がきっかけで今現在まで観光客が訪れるぐらい有名になるか、わからないもんやね。

 

908年(延喜8年) 藤原時平の寄進により社殿が造営されました。

927年(延長5年) 名神大社(国家鎮護の社)叙せられました。
 
942年(天慶5年) 正一位の社格(神階の最高位)が授与されました。
 
963年(応和3年) 都の巽(京都の東南の方角)を鎮守する神社として定められました。
 
 

当時は伊勢神宮は天皇以外の参拝が禁止されていたため、京からも近い稲荷神社に多くの参詣者を集めるようになりました。

 

平安時代以降

1468年(応仁2年) 応仁の乱により、本殿が焼失する。応仁の乱は、京都の街を焼きつくしました。世は戦国時代へとむかいます。

1499年 (明応8年)現在の本殿が再建さる。

 

豊臣秀吉との関係

京都の代表的な稲荷神社である「伏見稲荷大社」は応仁の乱で長い戦乱の世に巻き込まれ焼失していきました。

幼い頃より出世開運の神である稲荷神を信仰していた豊臣秀吉が、その戦乱の世に終止符を打ったのです。

 

1588年 秀吉は実母・大政所の病気の回復を伏見稲荷大社に祈願しました。

 

大掛かりなご祈祷の末、大政所はなんと見事回復、その時の喜こびようは尋常じゃなかったとおもいます。その理由は、現在もある楼門を造営し、秀吉はさらに本殿などの修復を手掛け伏見稲荷大社の現在の原型はこの時整えられたものです。秀吉が稲荷神を信仰していたからこそ今に繋がっているかもしれないですね。

 

文禄の役で戦勝祈願した際も連勝が続くなど、秀吉は稲荷神の数々の後利益に大満足していました。

嘘みたいな話ですが、現在京都にある「満足稲荷神社」は秀吉が満足したからその名がついたみたいですよ。

 

そして、現在

2011年(平成23年)に御鎮座1300年を迎えました。

 

1300年もの歴史を簡単ではありますが、まとめてみました。本当はもっといろんなことがあったかもしれませんが、今現在に伝わって残っている歴史なんてほんの一部にしか過ぎないんやろうなと感じています。

諸説伝わってる事とかあり、まだまだ、いろんな発見が出てくるかもしれないですね。応仁の乱などの戦などで焼失した資料も多いやろうしでも、1300年も続いてる事は事実。

名前の由来

山城国風土記(やましろこくふうどうき)」によれば、

渡来系の氏族である「秦伊呂具(はたいろぐ)」が、餅を使って的として弓で射たら、餅は白鳥に変化して山の峰に飛んで行きました。その白鳥が留まり、留まった場所から稲が生えたのです。

この「稲が生えた」ところ場所から、「稲生(いのう・いなせ)」となり、「稲荷(いなり)」と呼び名がかわってゆき、この稲から社が出来た。という由来があります。

と言うことで、稲荷の社の創建は、「秦伊呂具」ということになりますね。

 

諸説ある中の一つですが、不思議な話なのが個人的に気にいったので載せてみました。

伏見稲荷大社と狐の関係

「稲荷大神様」のお使いはきつねとされています。ただし野山に居る狐ではなく、白い狐(びゃっこさん)と崇められています。

それには理由があります。神様と同様に眷属様も人間の目には見えません。だから白色の狐なんですね。

眷属」とは、家族、あるいはそれに順ずる資格を意味しています。
神さまのご意思を人々にお伝えしたり人々からの願いなどを神さまにお伝えする、使者なんですね。

 

 

伏見稲荷大社、狐

白狐さんの像がいたるところあり、口になにかをくわえています。

くわえていない狐もいてますが、何をくわえているのでしょうか?

稲穂・玉・鍵・巻物

4種類です。

それぞれの意味を紹介します。

稲穂 

五穀豊穣の神様から由来しているとされているので、穀物、農業の神様です。

玉鍵信仰から由来しているので、穀物の倉庫という説があります

玉鍵信仰に由来しているので、鍵はその御霊を身に着けようとする願望ともいわれています。

また鍵は倉庫の鍵という説もあります

 

玉と鍵について

『玉と鍵』は『天と地』、『陰と陽』を表し、万物の創生の理を表しているとも言われています

巻物

知恵の象徴と言われています

 

伏見稲荷大社を訪れたさい、狐がなにをくわえているのか、見てみるのも楽しみのひとつにいかがですか。

千本鳥居

千本鳥居

鳥居は神聖な場所へと続く道です。伏見稲荷大社といえば『千本鳥居』が有名ですよね。

ちなみに、鳥居の数え方は「本」ではなく「基」です

名前が『千本鳥居』と言うので、鳥居が千本あると思っていましたが、江戸時代には千本もなかったようです。

千本鳥居の千本とは、数え切れないほどありますよ』ということを表しています。

では、なぜ鳥居がこんなにも多くあるのでしょうか?

 

鳥居を建てられるようになったのは江戸~明治時代の参拝者の奉納からはじまりました。

鳥居を奉納することによって、願いが「通る」という語呂合わせから生まれた信仰だとされています。

願いが「通る」たびに、鳥居を大きくしたものに変えて奉納する風習もあります。

 

なぜ鳥居の色は朱色なのか?

稲荷大社の公式HPの説明では「魔力に対抗する色」という意味合いがあるそうですよ。
他にも、神様がもっとも御神力を高めることができる色であるとも言われています。

 

自分の目でみるのが、一番感動とおもいます。圧巻するのは間違いないのではないでしょうか。

もう一度訪れたい場所の一つです。

まとめ

今回は、伏見稲荷大社の歴史などについてご紹介しましたが、いかがでしたか?

稲荷の由来がそこに稲が生えたからとか昔の人は迷信や信仰心が今より強かったんだと思いました。

 

今回は詳しく書いてないですが伊勢神宮は天皇しか参拝出来なかったって事をはじめてしりました。

江戸時代など、村の代表者がお伊勢さん参りをしていたと聞いたことがあったので、いつの時代も時代の流れにあわせて変わっていくんだと思いました。

 

今の時代娯楽や物に溢れているけれど、昔の人は神社にお参りにいくのが日課だったり生活の一部だったりしたんだろうなと思います。

時は流れて今なお、たくさんの人が訪れる伏見稲荷大社参拝前に歴史を知ると、ただ参拝に行くより違った心持ちでお参りできるのではないでしょうか。

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Posted by ゆずころ