秀吉の最古級・検地帳発見が発見される!信長の家臣だった時代の貴重な史料

2019年12月19日

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こんた

秀吉の最古級の検地帳発見がされたんだって!

 

  • そもそも検地帳て何?
  • どのぐらい古いの!
  • どこで見つかったの?

貴重な資料を紹介します。

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そもそも検地帳て何?

水帳(みずちょう)、竿帳(さおちょう)、縄帳(なわちょう)などともいいます。

検地は室町から戦国期にかけて戦国大名などの地域権力によって領国内で実施されていました。それをもとに年貢高などを把握していました。

戦国期は戦国大名が検使を派遣して実測する場合と、地頭や寺社などに命じて作人,収穫量などの報告書を作成させて差出させていた。(差出させることを指出さしだしという)

検地帳は野帳などの検地の実施にの折に作成された文書をもとにして、地域的なまとまりで整理して作成していたと考えられています。

豊臣政権下の太閤検地の検地帳の形式が統一されるのは文禄検地

江戸幕府検地の検地帳が統一的な形式に整えられるのは寛文・延宝検地

検地帳の標準的な記載形式(文禄検地、寛文・延宝検地以後の幕府検地)では、村単位で検地結果をまとめていました。

それぞれの村の石盛を決定し、村内の田畑・屋敷地について、一筆ごとに字名(所在地の地名)・地目(種類)・品位(上・中・下・下々からなる品質)・面積・分米(石高)・名請人などの情報が記載されていました。

 

検地とは戦国~江戸時代に土地調査を検地帳の結果を、まとめた土地台帳の事をいうんですね。これをもとに年貢の量がきめられたりしていたんので検地帳を統一されるまでは曖昧な部分も。でも、村単位でって計測するの大変そうですね。

今のご時世となりの家との境界線で揉めたりするのに、計測って大変なしごとですね。

どこで見つかったのか?

最古級検地帳兵庫県立歴史博物館(姫路市)が26日発表した内容より。

羽柴(豊臣)秀吉(1537~98)が、信長の家臣として播磨(はりま、兵庫県南西部)を治めていたころにつくらせた検地帳の写しがみつかりました。

県内の古文書収集家が古書業者から購入したとされ、2017年に古文書収集家の男性から報告があり、存在が明らかにりました。

織田信長時代の検地帳は、今回を含めて7点しか見つかっておらず、後に秀吉が行った「太閤検地」の研究にも役立つということです。

 

古書業者の人は気付かなかったのかな…。秀吉時代の物は数百点も残っているのですが信長時代の物は大変貴重なんですね。

どのぐらい古いの

見つかった検地帳は72ページの帳面1冊で、天正8年(1580年)に作成されたものです

羽柴(豊臣)秀吉(1537~98)が、信長の家臣として播磨(兵庫県南西部)を治めていたころにつくらせた検地帳の写しがみつかりました。

 みつかったのは「播磨国飾東(しきとう)郡緋田(あけだ)村」(現姫路市四郷〈しごう〉町明田)の検地帳の写し(縦約32センチ、横約21センチ)。二つ折りにした18枚の和紙の表裏を使って計72ページに及ぶ。表紙に天正8(1580)年10月24日の日付と村名が記され、本文には税をまとめて納める名請人(なうけにん)150人の名前や地名、その土地の面積、耕地の等級など、のちの太閤検地と類似した項目が並ぶ。

 末尾に秀吉の家臣だった「小出秀政」「桑原貞也」の名前があったことなどから、博物館は秀吉の検地帳と断定。2人の名前に「殿」と敬称を書き加えており、緋田村が原本を書き写して保存していたとみる。 秀吉の検地帳では天正8年8月12日の日付がある「但馬国出石(たじまいずし)郡赤花始り之水帳写」(兵庫県豊岡市蔵)に次いで2番目に古い。

 

写しでも凄い貴重なものが発見されるなんて、まだまだ、どこかにあるかもしれないですね。

今回発見された最古級の検地帳は10月から博物館で行われる特別展で公開されます。兵庫県立歴史博物館

まとめ

毎年、新しく歴史に関する事が発見されて学校で習った歴史が今とちょっと前でも変わっていたりと発見されるたびに歴史が変わるっておもしろいですね。

今回の発見で何がかわるのか、わかりませんが歴史上の人物が生きていた痕跡が見つかるだけでなんかワクワクしますね。

では、今回はこの辺で。ありがとうございました。


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Posted by ゆずころ