明智光秀の家臣・明智秀満生涯や人物像は!伝説や父親・明智光安について調査

今回は、明智光秀の叔父・明智光安にスポットをあてるよ。
大河ドラマ『麒麟がくる』では、西村まさ彦さんが秀満の父親・明智光安を演じられますね。
秀満は誰が演じるのか今の所発表されてないですね。
そもそも
- 明智秀満ってどんな人なの?
- 明智光秀の叔父さんの子なんやね⁉
- 光秀の家臣・明智秀満の父親・光安はどんな人?
明智秀満どの様な生涯を遂げたのか調べてみました。
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明智光安ってどんな人
明智 光安(あけち みつやす)は、戦国時代の武将。生誕1500年~死没1556年11月8日
明智光継の三男。
父親の光継が隠居して、光安の兄(光秀の父親)が、当主になりますが、若くして亡くなります。まだ、幼い光秀の後見を父親(光継)に命じられて明智家の当主になりました。
光秀が元服した後も明智家の当主を担っています。一説によれば光秀が家督を継ぐのを拒否したとか。
斎藤道三が美濃国を奪取し、その国主となると、光安は道三に接近。
妹・小見の方をその継室に出すことに成功しています。
しかし、道三が息子である義龍と対立し道山が戦死。
光安は道三の外戚という立場のため義龍と対立することに。
光安は明智城に籠城するも義龍に与する揖斐光就・長井道利らに攻められ、防戦空しく自害。
その際に光安の子とされる秀満を光秀に託して城を脱出させたといわれています。
光秀の前半生も謎が多いので、叔父についても余り詳しくわかりませんが、ドラマではどのような人物像で描かれるのかたのしみですね。
秀満も本当に光秀の叔父・光安の子かも定かではないようです。
明智光秀の家臣・明智秀満
明智家が滅びるまで光秀に仕え続けた秀満。
しかしながら、秀満の前半生は『明智軍記』を始めとする俗書でのみ伝わっています。
出自だけでも
三宅氏説
秀満は当初、三宅氏(三宅弥平次)と名乗っていたため。他にも明智光秀の家臣として三宅氏の名前が複数確認されている。
明智氏説
『明智軍記』によると、光秀の叔父光安の子。光秀とは従兄弟の関係にあったとされています。
他にもあるようですがどれも信ぴょうせいが低いようです。
後半生になってやっと記録が確認されるように。
- 1578年以降に光秀の娘を妻に迎えている。
- 明智家の筆頭家臣として光秀から全幅の信頼を得ていた
- 光秀とは親と子ほどの年齢差があったらしいのですが
- 光秀が平定した丹波国の福知山城城代に任命されている
福知山城の城代に任命されるぐらい活躍し、なおかつ光秀からの信頼も得、優れた能力の持ち主だったのでしょう。
本能寺の変後の秀満と伝説
本能寺の変では先鋒となり本能寺を襲撃。その後、安土城の守備をめいじられます。
山崎の戦いで光秀が敗れたことを知り、安土から脱出をして坂本に向かいます。
本当に馬で琵琶湖を越えたのか?あくまでも伝説ですが坂本城まで無事に辿り着いたのです。…が。
堀秀政が坂本城を包囲、秀満はしばらくは防戦しましたが、
光秀の妻子を刺し殺し、そして自分の妻も刺殺します。
最後は城に火を放って自分の腹を切り自害したと言われています。
最後は主君の妻子、自分の妻をも手にかけて自害と戦国時代は、生きるか死ぬかという時代なんやなと思いながら負ければ死しかないのか…、歴史の授業では絶対教えてくれないなと思います。
まとめ
今回は、明智光秀の家臣・明智秀満について調べてみました。
詳しい生涯がほとんど残っていないのですが、出生も光秀とは従兄弟にあたるのか、そうでないのか謎ですが家臣としてはとても重要な人物だったことは間違いないんやなと思います。
大河ドラマではどの様に描かれるのか楽しみです。
ではこの辺で、ありがとうございました。